経過報告
次回の弁論準備手続きは、2007年4月11日(水)13時30分(民事4部)
2007年1月29日(月)11時30分(民事4部48号室)
 原告より、原告準備書面(3)および倉持意見書(2)を提出。これらは争点整理と被告第4準備書面に対する反論。
 裁判官より、原告の立証について以下の2点が指摘された。
1)11月20日の時点で、検査をして血行再建術をしていれば、大腿部切断を避けることは可能だったのか?
2)あるいは、ギリギリどの時点までなら、切断回避が可能であったのか?
 これらの医学的根拠を具体的に論じろとの指揮。
 提出期日は3月末日。
 被告より、上記同様。具体的に(日赤の検査結果をもって)主張せよとの要求。それをみて反論したい。
 また、前医である●●内科のカルテを取り寄せたいので、原告の承諾が欲しい。
 医学的根拠とは、医師の意見書をさらに用意せよということ。
 医療裁判でいつも原告側の難題となるのが、「やるべきであった」と論じるだけではなく、「やれば治った」という根拠を示す必要がある(立証責任)という点。
 これは、医療裁判についての特別立法が必要な問題であるが、検査もしないまま、いい加減な診療で過誤を起こした医者は、いい加減であればあるほど裁判で有利になる。こんな非常識を許してはいけない。
 被告を徹底的に攻撃することとする。
2007年1月24日(水)11時
原告の書面提出が遅れ、被告の反論意見書が間に合わず期日延期となる。
2006年12月20日(水) 11時 (民事4部48号室)
 被告より、原告側の濱−倉持医師意見書に対する反論として準備書面が提出される。これは被告側弁護士が作成したもの。被告側の医師意見書の提出は間に合わず。
 原告は、争点整理が間に合わず、何も提出せず。
 裁判官より、原告は1月15日までに争点整理を行い、被告はそれに合わせて期日までに反論するよう指揮。
 裁判官は、判決か話し合い(和解)かの希望を聞く。原告死亡時の打診では、主張弁論の不満により和解はしない旨であったが、今回、原告側は和解を一蹴するつもりはないとする。
 原告側は、濱−倉持意見書によって「勝った」と思った。全てが解明されたと考えた。被告の反論を見ての追加意見書も徹底的に出せる態勢となった。そして判決は「常識」の線引きだけとなる、と思った。
 今回の被告準備書面では、被告病院の治療に足りない部分があったことは認めたが、全体的にかなり巧妙な詭弁を展開して、結局は責任がないと主張している。
 濱−倉持意見書は、やはり被告にとって難儀な問題だったようで、被告弁護士は本腰を入れてきた感があり、この損保−日本医師会の医療専門弁護士には歴戦のプロたる迫力を感じた。何がなんでも責任を認めないという姿勢。このような人物を相手にしているのかと、いまさらながら、ため息が出る。
 一宮身体拘束事件(一審敗訴・控訴審中)の弁護団会議でも、この同じ被告側弁護士の手腕が話題となった。
2006年11月16日(木)
被告の反論意見書が間に合わず期日延期となる
2006年9月25日(月)民事4部準備手続 401号室
 原告より医師の意見書が提出される。
 裁判官は、原告は過失内容の整理をするよう指揮。期限は10月中。
 原告側は、医薬ビジランスセンター濱六郎先生(大阪薬科大・大阪大)による鑑定意見書を提出した。
 期限ぎりぎりの提出であったため、原告、被告双方ともに検討の時間はなかったが、外来時の初期治療の問題点を指摘。

 意見書は、糖尿病と閉塞性動脈硬化症の診療の基本ができていないこと、転院の必要性があったこと、必要な検査がされていないこと、木下氏が入院勧告や禁煙指導を守らなかったのは被告病院の説明不足が原因であること、そして、木下氏の死亡は被告病院に責がある、と言及した。

 これをもって、被告病院の全治療期間に対して全ての過誤を追求する態勢が整った。原告側は、原告、支援者、弁護士、I氏(医学関係者)、K先生(某医科大)、濱先生らによる総力戦に突入した。
2006年8月2日(水) 準備手続 408号室
 原告の意見書依頼がH先生に決定したので、意見書ができるのを待つことになった。
 双方、提出物なし。
 意見医師の捜索では、精神的にほとほと疲れてしまった。
 医師たちのふがいなさを受けとめながらも、その過程では、事件についての新たな認識を得ることもできた。
 糖尿病の病態、糖尿病や動脈硬化症の進行度の問題。因果関係と賠償金の問題……。そういった肝心なことが何故はじめから分からないのかと思うのだが、知らなかったのだからしようがない。あるいは、気がつかなかったというべきか。原告側とは、そういうものなのだ。

 また、どんなことでもそうなのだが、追求する姿勢をどのように持つかで、いかようにも判断ができるものだということを痛感した。事実の認識はその人の価値観によって抽出される。
 過誤を追求する姿勢がない人には、過誤は決して過誤にはならないのだ。
 
 医療裁判は、原告側の経済効率で考えると実に悲惨だということも、原告の会議で議論された。
 医療裁判は金ではないと言いながらも、弁護士にも意見医師にも金がかかる。彼らが暴利をむさぼっているというのではなく、そうならざるを得ない仕組みになっているのだ。
 貧乏人には裁判などとてもできない。常識で考えると、おかしな話だ。
 原告のなかには、家を売ったり借金したりして頑張る人も珍しくないと聞いた。

 片脚の新二爺さんは、あの世で楽しくやっているのだろうか。
 もう、無い足が痛んで苦しむことはないのだろうか。
 もう、拳銃を買おうなどとは、騒いではいないだろうか。
 
 世の中では経済活力のために、憎しみを利用してテロや戦争をやっている。その影で本当の正義は隠れがちだ。
 僕は決して闘いそのものを否定はしない。どうせいつかは死ぬのだから、悪人をやっつけて死ねるのなら良いではないか。罪のない一般市民を巻き込んで、などと安易に言われるが、戦争はいつだって無差別だ。テロは安上がりの戦争、あるいは正義を賭けた強烈な闘争なのだ。
 社会が変われば犯罪も変わる。仇討ちも粛清も殲滅も、正当に「あり」なのだと思う。復讐とは実に立派なことではないのか。どこが悪い。

 裁判にしたことが果たしてよかったのかどうか、よくわからなくなる。
 実際のところ、勝った原告からでさえ、そんな話が出るようだ。
 司法は完全に独立しているのではなく、あくまでも多くの妥当性をもつ体制内独立だからであり、医療過誤問題が現行の司法制度にはふさわしくないせいでもある。

 だが、個人の裁判闘争といえど、地道に意地を通さなければ、誰が日本を変えるというのか。
2006年6月7日(水)民事4部408号室
 原告側よりS大学K先生(薬理学)より意見書と、同大病院副院長、糖尿病内科主任教授、整形外科主任教授らとの議論内容を補足として提出。

 この感染対処の不作為を論及する意見書に対して、被告弁護人は、K氏が細菌学の専門家ではあってもASOの専門家ではないことをあげ、さらに被告としては、感染の問題ではなく、ASOによる大腿部切断が避けれたか否かに焦点をあわせており、「糖尿病とASO、そして壊疽による切断を避けるのは難しい」と考えているので、原告側からの意見書にはASOへの言及が必要であり、一般病院での医療水準についても触れてもらわないと反論のしようがない、との要望が口頭で出た。
 原告側は意見書を補強するとともに、改めて、主張の整理(過失・因果関係)が必要とされる旨を、裁判官、被告、原告の三者が確認する。

 また、裁判官より、原告側のASO・糖尿病の専門の意見医師はいつ見つかるのかと打診されたが、明確な期限をあげることはできなかった。

 原告関係者より、「被告側の意見医師は専門家だが、原告側の意見医師が専門家ではないなら、公平な裁判とは言えないのではないか」と意見が出され、半年あるいは3カ月間の裁判の停止を希望する旨が述べられた。
 それに対して、被告側弁護人は、一般的には裁判の迅速化が望まれていることを指摘し、被告側も意見医師を探すのは大変なんだ、と言われた。
 裁判官は、それは原告の立証責任の問題なので、待つことはできない、とした。
 医療裁判では原告による立証責任が、公平な裁判を受けるにあたって、大きな障壁となっている。原告は40名近い医師に断られているのだ。どちらの側が大変か、想像するまでもないだろう。

 「不法行為(注意義務違反)」の場合は、原告に立証責任があるが、「債務不履行」による損害賠償請求の場合は、被告の方に債務を履行したことの立証責任がある。医療契約は準委任契約であり、その債務は委任契約に準ずるのであるから、被告には誠実な説明をする義務があり、原告は疑義を呈すれば良い形となる。
2006年4月27日(木)15時00分(民事4部1号室)
 裁判官交代。
 承継手続きの確認。
 原告側、鑑定医師探しが難航していると報告。
 裁判官より、次回までに原告側意見医(私的鑑定医)が見つからない場合、和解を検討するよう指揮されました。
 現在は、被告が原告の弁論を待っている形。
 原告は、弁護士とのやりとりミスで準備書面の提出が、またまた宙に浮き、意見医探しで、まいっています。
 ご丁寧に意見を下さった先生もいらっしゃったそうですが、どなたかわからなくなって、Yクリニックって、どちらの先生なのでしょう。もし、ここをご覧になっていたら、このホームページにメールしてやって下さい。すいません。もう、むちゃくちゃ。
2006年3月9日(木)16時30分(民事4部34号室)
 被告井戸田力氏の陳述書提出。
 原告より承継問題の進捗報告。
 原告側より私的鑑定医の依頼交渉開始の報告。
 裁判官より「意見医がいない場合は、和解を検討するように」とのこと。
 裁判官のいう和解とは、原告が全面的に負けることを意味する。判決を出さないのはせめてもの情けか。もっとも、裁判官にとって、判決を出そうにも、意見が出揃わなくては話にならないということなのだろう。その公平さを高く評価したい。
 勝てるはずの裁判で、このような形で原告が負けるのは、裁判官が、専門家(医師)の意見を重視せざるを得ないからである。
 医療裁判は、医師の鑑定書が全てなのだ。
 
 原告側は、調査を積み重ね、検討を重ね、日本全国から医師を厳選し、依頼交渉を開始した。
 まだ、自分のところには依頼が来ていないという医師は申し出てほしい。
 そして、今回の被告自身の陳述書は、原告側弁護士と支援者を燃えさせてくれた。これまで正直に言って、我が陣営に足並みの揃わないことが多々あった。新二の爺さんが死んでしまったことで、気落ちしていたもの確かだ。それをなんと被告自身が立て直してくれたことに感謝したい。
 
 また、この間、ある大学助教授の医師から、原告支持の意見メールがあった。誠に志士であろう。原告側は、泣きたくなるほどの感恩の気持ちでありました。
2006年1月25日(水)16時40分 弁論準備(非公開/民事4部)
 被告より鑑定意見書が提出される。
 原告側には、意見医および私的鑑定医がいないため、裁判官は「反論できないままに終わる形になります」と。
2005年12月7日(水)16時 弁論準備(民事4部35号室)
 日赤分のカルテの抜け分の整理打ち合わせ。
 原告の継承権1本化の進行状況の確認。
 被告準備書面(3)の陳述。
 裁判官からの原告への進行指導。
 来年の3月あるいは4月までに、原告は医師の意見書を提出するようにと、裁判官から指示をされた。このままでは、原告は不利なままに終結を迎えることになると。
 つまり、「敗訴だ」と言われたのだ。

 被告は、既に医師の私的意見書を提出している。そして、医師の陳述書を再び用意すると言う。
 原告は、医師国家試験前の協力者にレントゲンを解説して頂いたが、証拠能力は薄いといわれた。何故なのだろう。間違ったことが書いてあったとでも言うのだろうか。
 原告は、医師に頼らず文献で闘おうとしていたし、それで十分だと考えていた。だが、それでは、ほとんど意味をなさない、と宣告されたのだ。
 確かにその文献についても、原告側では労力的にも能力的にも時間的にも、非常に苦しい状況にある。それを一気に埋めるものは、言うまでもなく、医師による意見書である。そんなことは、はなからわかっている。けれど、臨床の常識くらいは教科書に書いてあるだろう。それのどこが信用できないのだろうか。裁判での被告側医師の発言ほど、信用できないものはないではないか。

 立証責任とは、医師の鑑定書であり、医師の意見書であり、医師の陳述書なのだ。裁判所としては、専門家の意見を尊重することもまた、自然なことであろう。それはよくわかる。しかし、そこに嘘や詭弁があったとしたら、それを素人が暴いてはいけないという法はないだろう。
 悔しい話だ。実に悔しい話だ。そのようにして横着な医師が免責されるとしたら、ほんとうに悔しい話だ。姉歯建築士だって、1級建築士の資格を取り消されたんだぞ。

 深爪の傷がガス壊疽になるまで悪化させられ、生命が危機にさらされる患者は、これからも続くというのだ。正確な血流測定をされぬまま、助かる足も切断され続ける患者は、これからも続くというのだ。殺してやると叫んで死んでいった木下爺さんを、私はけっして忘れない。
 原告側には医師はいない。原告側には、今は、まだ、医師はいない。
2005年10月26日(水)16時 弁論準備(民事4部35号室)
 原告準備書面(2)及び証拠説明書の陳述。
 WEBに寄せられた専門家からの大量のメールの整理や理解、文献との対照作業が追いついておりません。原告による牛歩戦術など聞いたこともないし、そのつもりもないのですが、そういう時期があるのでしょう。
 長丁場を覚悟して、あふれる資料に困った支援者は、引っ越しをすることになりました。それも凄い話ですが、裁判の難しさの一コマなのでしょう。

 故木下新二は、人情に厚かった人です。政治のことは詳しくはわかりませんでしたが、自由法曹団の弁護士を高く評価していました。一生懸命にやってくれる人たちだ、今でもあるのかなあ、と言っていたことがあります。自由法曹団は共産党の人たちです。(森田先生は自由法曹団ではありませんが)そしたら、支援者はその人たちとも何か一緒にやられているとのこと。本当はもっと違う思想らしいけども、現実に何をするのか、というときには、たいした違いではないようです。
 同じものの道理というものなのでしょう。それは人情というものなのかもしれません。支援者は、ホームレスの援助活動までしてみえるので、故木下新二のもので使ってもらえそうな衣料を団体に寄付させて頂きました。
 このWEBには別の医療事件の相談が寄せられています。それは裁判にはなっていないけれども、過誤の調査で揺れ続けて苦しんでみえます。そんななかで、医療過誤裁判の原告たちで、情報をやりとりして助け合う場面があります。何をどうやって調べればいいのか、そういう基本的なことさえも、経験者でないとなかなか分からなかったりするからです。
 このWEBをご覧になったある原告で、当ホームページを見本に、ご自分の医療裁判のホームページを作られた方がみえます。大変に恐縮致しました。

 そんなささやかではありますが、皆様のお役に立てることをとても嬉しく思っております。
同年9月1日(木)16時30分 弁論準備(民事4部3階)
 原告準備書面(2)及び証拠説明書の提出(陳述は次回)
 日赤カルテの追加分の翻訳や、承継手続きの整理など、進行につい
ての検討。
 原告が死亡したことは大きな悲しみだった。裁判への迷いも生まれ
るし、弁論書面や資料に向かうと、思考が停止するかのような意欲の
減退にも悩まされる。
 裁判官より原告の進行が遅いことを注意されたが、最期まで被告を
憎んでいた生前の原告の無念を思い出しながら、踏ん張るしかない。

 医療裁判は長くかかる。これは大きな負担である。
 しかし、公判の日程が1ヶ月、2ヶ月と間があくのは、準備する側
にとっても故あることのように思えてくる。
 毎日の生活をしながら、文献調査や弁論準備をするのは、並大抵の
ことではない。
 弁護士も支援者も、さまざまな世俗や事件を幾重にも抱えている。
 どちらの原告も、毎晩毎晩、仕事が終わった深夜に書面を紐解くの
だ。あるいは介護や看病の合間に、黙々と慣れぬ医学書に取り組むの
だ。期日が迫った原告のなかには、仕事をずる休みせざるを得ない人
もいるだろう。
 そうして流れ去る人生は、いったい何のためなのか。
 さらに、非常に困ったことが起こってくる。時間を経てくると、全
て頭に入っていた診療録や資料の記憶がなくなってくるのだ。新しい
情報が入るたびに、既知の情報を加速度的に忘れてしまうのだ。
 裁判とはこんなにも大変なものなのか。
 しかし、まだまだ。お楽しみはこれからだ。見ておれ、ゲス野郎!
同年6月9日(木)11時 弁論準備(民事4部3階32室)
 原告より、名古屋第一赤十字病院の翻訳カルテの不足分の提出。
 また、日赤におけるレントゲンフィルムについての解説ボードを提出。 執筆は匿名の医師国試浪人生。
 裁判官は、執筆者が医師ではないので、証明力が薄くなると指摘。
 被告より、この解説ボードの正確性と原本との関係について疑義あり。
 これに対し、原告は解説ボードについての証拠説明書を作成することになった。

 被告より、傍聴人に対しての疑義あり。弁論準備は法廷ではなく、非公開であると主張。裁判官は、原告と被告の双方が傍聴人を承諾していれば良いとする。
 被告は傍聴人の退席を求め、裁判官は傍聴人に退席を命じる。
 退席後、被告の問いに対し、原告側弁護人と原告の遺族は、傍聴していた支援者の氏名のほか、原告との生前からの関係等を説明し、被告は傍聴を了解した。
 ガス像が写っているレントゲンの解説ボードを作ったのは、医師ではない。やむを得ない事情があって、国試が受けれなかった方である。
 なぜだか、わかるか? なぜ、医師ではない人がレントゲンの読影をして解説を書いて下さったのか、わかる人はいらっしゃるか?

 傍聴人は支援者であった。なぜ、支援者の傍聴が原告にとって必要なのか、わかる人はいますか? 支援者が何をして下さっているのか、想像できる人はいらっしゃいますか?

 傍聴人に対する被告弁護人の疑義については、原告側の不注意から、不本意ながら礼を逸する形になったわけであるが、しかし、たった一人の傍聴人が、医師ではないのか、ルポライターではないのか、支援団体からの派遣員ではないのかと、どうしてそんなことを執拗に気にするのだろうか。どうしてそんなことを言う必要があるのだろうか。
 理由として力説された心情もあったが、裁判所の記録には残るものの、傍聴人に要求できることではなく、もとより言ってはならぬことではなかっただろうか。
 まあ、些細なことはどうでも良い。本題で、しっかり語りたいと思う。
同年4月14日(木)16時 第7回口頭弁論(民事4部6階63準備手続室)
 被告より、第一準備書面の追加提出 。
 原告より、原告死亡と遺族による承継決定を報告。
 これにより、原告の病状悪化をみての存命中の和解希望は撤回さ
れ、あくまで闘っていく旨が告げられる。
 裁判官は、普通は逆なんですけどねえ、と感想をもらす。
 医療過誤裁判は、原告自身が死亡すると、そこそこのところで和解
終結させることが多いのでしょう。
 被告にとっては、厄介なことになった、というところだろう。
 そう、どんどん厄介なことになるだろう。
 損害賠償請求権の相続権は、3人が持っているのだ。
 鎌槌の赤い幟を掲げる支援者も、弔い合戦に決意を新たにしている。
同年3月2日(水)11時 第6回口頭弁論(民事4部607号ラウンド法廷にて)
被告より、第一準備書面、診療経過一覧表の提出。
@ 原告より、日赤からのカルテの再複写(翻訳にまわしたもの)に抜けている部分があることを指摘。
A 裁判官より、被告の準備書面の一部が、原告の準備書面と対応していないことが指摘され、次回に出し直しとなる。
B 被告より、2月12日の日赤外来のカルテ、19日以前に日赤が撮ったレントゲン写真が指摘される。
 被告は、詭弁を弄して煙幕を張るかのような反論をしてきた。詭弁がどこにあるのか、しっかりとお伝えしたいと思う。
 はて、2月12日のカルテは初めからあるし、日赤で撮った19日以前のレントゲンも既に提出済みである。
 ともかく、およそ8分間で終わった。
 今回は、傍聴にいらした方がみえて、原告としては心強い限りであった。法廷終了後、私の長男と支援委員、傍聴の方々との意見交換が行われた。感謝、感謝である。
2005年1月13日(木)15時10分 第5回口頭弁論(民事4部607号ラウンド法廷にて)
原告より名古屋第一赤十字病院の翻訳カルテ提出
被告より医師の私的意見書提出
@ 被告より、翻訳に一部異議あり。
A 被告より、和解については、医師会の意向が必要となる旨が確認される。
B 次回は、被告より、診療経過の一覧表、ドップラー血流計資料および原告の準備書面に対する認否、反論を提出予定。
 はじめの一年間は書類整理だと、昨年名古屋高裁で勝訴した医療過誤裁判の原告より助言を頂いていた。確かにその通りだ。なんとまあ、のんびりとした進行だこと。
 私は、体調不良で出廷できなかったのだが、法廷終了後、たまたま裁判所のロビーで我が陣営と被告弁護士とのちょっとしたやりとりがあったそうだ。
 こちらは、医療過誤裁判の非効率で無駄な闘いを、真実への歩み寄りに向けられないだろうかと、大きく譲歩するように腰を低くして非公式の打診をしたのだ。その裏には、今回被告が提出した、どちらの味方かわからないような奇怪な私的意見書があった。
 しかし、被告弁護士は、意見書の内容を繰り返すばかりで、その態度は私の家族と支援委員を憤激させたのである。私の息子は、くやしくて夜も眠れなかったという。
 被告側は、医師会と名古屋大学医学部を後ろ楯にしているつもりだろうが、世の中をみくびってもらっては困る。
同年11月24日(水)14時30分 第4回口頭弁論(民事4部607号ラウンド法廷にて)
カルテ整理の進行確認のみ。
 法廷は3分で終わった。カルテの翻訳整理が原告・被告ともに遅れている。
 まあ、良い。必要とあらば、私は正義を味方にあの世からでも闘うつもりだ。
同年10月6日(水)16時55分 第3回口頭弁論(民事4部607号ラウンド法廷にて)
名古屋第一赤十字病院のカルテ(裁判所命令による再複写分)の翻訳範囲、証拠提出範囲を相談。事務的確認のみ。
 私は、以前の弁護士が入手したカルテ複写を元に、提訴したわけだが、複写が雑なために検査票などの付箋に隠れた部分が確定ができず、今回の再複写となった。要は、振り出しに戻っているわけだ。
 これは当方の準備不足といえども、粗雑だと指摘された複写は、医療過誤専門の弁護士が行ったものである。医療過誤裁判の難しさは、こんなところにもあるのだろう。
同年8月25日(水)11時 第2回口頭弁論(民事4部ラウンド法廷にて)
原告 準備書面(1)提出
@ 裁判官⇒原告 原告準備書面の内容確認。
検出された菌は、非クロストリジウム性ガス壊疽の起因菌である。正確な感染日時は、被告病院の診療が粗雑だから確定できない。切断原因はガス壊疽であって、慢性動脈硬化症ではない。
A 被告⇒原告 転院時(1999/2/15)には、ガス壊疽になっていたのか?
〔原告回答〕 転院時にはガス壊疽になっていた。
〔被告再質問〕 いつの時点で診断可能であったのか? 転院時には可能であったのか? ガス壊疽であったことと診断可能であったこととは違う。
〔裁判官〕 客観的にみて、被告病院の診療が粗雑だったから確定できないということです。
B 被告⇒原告 2月19日以前のレントゲンはないのか?
〔原告回答〕 名古屋第一赤十字病院のカルテ(再複写分)が届けばはっきりする。
C 原告⇒被告 被告病院の翻訳カルテが届いていない。
〔被告回答〕 7月31日付で送達した。
D 裁判官⇒被告 専門家の意見はどういう形で出ますか?
〔被告回答〕 血管外科専門医に依頼。できるだけ書面でとお願いしている。
 被告は、名古屋第一赤十字病院でのレントゲンにこだわっているようだが、レントゲンを撮るべきであったのは被告病院である。「以前のレントゲン」がどうしてないのか、聞きたいのは私のほうだ。何故に足の指を切ったときにもレントゲンが撮られていないのか?
 責任を転院先になすりつけるかのように、偉そうに言える立場ではなかろう。
同年7月 7日(水) 10時 第1回口頭弁論(名古屋地裁民事4部ラウンド法廷にて)
被告 答弁書提出
@ 裁判官⇒原告 カルテの再整理の要請。
次回までに原告側と被告側の両者より提出。被告側は井戸田病院のカルテを翻訳して提出する準備があるとのこと。
A 裁判官⇒原告 過誤のあるなし以前の問題として、医学的機序の説明を要求。
原告側はそれを明確にする検査そのものが行われていないことが問題であるとするも、あまりに網羅的であるので機序をはっきりして欲しいと指示される。
B 裁判官⇒被告 答弁書の中の言葉の解釈を問う。
被告側は「ガス壊疽の程度に関わらず」いずれにせよ大腿切断は避けられなかった、と補足。
C 被告側より、井戸田病院は病床数を理由として名称を変更しているとの申し出があり、これによって「井戸田病院」は存在しないこととなった。
 提訴後、私の弁護士に、被告の井戸田氏本人より裁判回避についての連絡があったのだが、今回提出された被告弁護団の答弁書には激怒した。医学への信頼を揺るがす責任逃れのてんこ盛りであり、原告の立証責任を詰問する医療過誤擁護に手慣れたものであった。よって反省の余地は皆無と判断し、保留していた当ホームページの公開を決定。病院名の変更とは妙な話だが、ホームページ内での呼称は原則的に井戸田病院とする。
2004年5月21日(金) 提訴