鉄槌の標的
 被告は、答弁書において、ガス壊疽の発症・増悪への無検査・不作為という原告の訴えを全面的に否定した。
 その否定方法は、それ自体の否定的要素を挙げるのではなく、背景である慢性動脈硬化症を持ち出して、「結局は、脚は切断すべきであった」と時間を逆行させて、自らの過失の擁護に帰結させている。
 いわば、「問題文のすり替えによる解答」と「状況の時間的転倒」を利用した詭弁であり、論理的な逸脱を誘う形をとっている。さらに、法廷で被告弁護団の口走る言葉は、その脱線を仕向ける挑発行為と解された。これは、巷の議論遊戯で頻繁に使われる俗物の手法であって、反論しているようであって、実は反論にはなっていない。
 このような非論理的な遁辞が、法廷で堂々と行われるとは意外であった。これでは、まるで小学生の学級会ではないか。国民を馬鹿にするにもほどがある。
 しかしながら、様々な医療過誤裁判の事例をみると、どうやらこの手法は医療過誤裁判における病院側被告の常套手段であるらしい。しかも、それが正論として通用しているようである。裁判官の頭の中を疑う出来事である。どんな屁理屈を使ってでも勝てば良いという裁判を認めるならば、医療過誤は無法地帯となる。論理的に欠陥のある議論は不毛であるばかりではなく、健全な社会の育成を阻害する。
 まともな弁論ができないのならば、裁判所自体に問題解決能力が不足していると言えるし、医療過誤だけについて、わざと誤謬を犯しているとするなら、何らかの利権が裁判所にまとわりついているものと考えられる。腐蝕の連鎖は断たねばならぬ。

 重要なのは、真実の検証なのであって、その舞台の上でお互いに歩み寄るのが、医療過誤裁判のあるべき姿であろう。どうして、こんな当たり前のことができないのか。被告にしても、非を認めて対処するならば、世間の評判は下がるどころか、むしろ英雄扱いとなろうものを。
 個人的な怨念だけならば、闇討ちをすれば良いだけの話である。
 多くの人は「復讐は犯罪になるから」と我慢しているのであろうが、それは視野が狭いと言える。そもそも犯罪とは属する社会が決めることであり、社会が変われば犯罪とはならない部分がある。見つからなければ犯罪ではない。この社会科学の命題を認識していないから、いつまでたっても世の中には、権勢を持った者だけが利益を得る「社会的犯罪」が横行するのである。復讐が悪いのではなく、復讐の原因を作った方が悪いのである。それが倫理というものである。
 私が車椅子にダイナマイトを積んで突撃しないのは、何故なのか。必殺仕置人に切餅を包まないのは、何故なのか。法廷で茶番劇をやるためではない。見つかっても犯罪とはならない医療の世界に、真と誠を問うているからである。裁判をやったところで、私の脚が生えてくるわけでもなかろうて。

 みんな勘違いをしていないだろうか。
 私は、医療過誤があるから訴えているのではない。過誤を反省しないから訴えているのである。患者を治そうとする姿勢を放棄したから訴えているのである。
 それが証拠に、私は名古屋第一赤十字病院を訴えてはいない。
 仮に、ガス壊疽を見落としたとしても、ガス壊疽の診断を隠したとしても、ガス壊疽の診断を遅らせたとしても、それによって井戸田病院をかばったとしても、ガス壊疽の知識が不足していたとしても、褥創を悪化させたとしても、院内感染させたとしても、虚偽の病名を付けたとしても、架空のカルテがあったとしても……私は名古屋第一赤十字病院を訴えない。訴えろと主張した弁護士とは縁を切った。
 なぜなら、名古屋第一赤十字病院の主治医は、本当の病名を告げてくれた。整形外科を中心に全ての医師と看護師は、ただ懸命に私を救ってくれたのだ。
 つい先日のこと。名古屋第一赤十字病院に検査に出掛けた私は、当時の病棟婦長と5年ぶりに出会った。私のことを覚えてみえた。
「忘れもしない。木下さんもつらかったでしょうけど、この脚には(医師も看護師も)みんながつらい思いをした。あんなに大変なことは初めてでした」と、短くなった私の脚を撫でてくれた。毎日、朝と夕に麻酔なしで肉を削るデブリードマンのことである。
 医療にとって最も大切なものは、そんな心根なのではないですか?
 だから、私は名古屋第一赤十字病院を絶対に訴えない。

 医療過誤裁判の本質は、過誤をなくすための土壌を得るためのものである。当事者間の損害賠償(慰謝料)で終わるべきものではない。民事裁判だからといって単なる経済裁判ではない。もとから刑事責任を追求する検察や医療行政の無能さが関わっている事件なのである。みなさん先刻ご承知のことであろう。
 してみれば、非論理的な抗弁は、事件の本質を無視する反社会的な姿勢の現れとみることができる。それを許している裁判官も同罪である。これは、裁判における倫理的課題であろう。医療過誤裁判を経済裁判として矮小化することは、社会福祉の発展に反して、医療の独占的利権を維持する側に与するということである。「人間のための法」という大原則を忘れるならば、社会に対する建設的な思想的規範が欠落していると言える。このような不適格な人物は、司法職にいるべきではなかろう。
 公衆衛生上、白いウジ虫は駆除すべき存在なのであって、言い逃れを聞く対象ではないのである。天網恢恢(てんもうかいかい) 、疎にして漏らさず。天道は不正を許すまい。